1939年(昭和14年)に映画法が成立し、「文化映画」の劇場上映が法制化された。「時事映画」と呼ばれたニュース映画も「文化映画」として扱われ、全国各地の劇場で“国策”として上映された。この映画法の施行を受け、読売新聞社をはじめとする大手メディアの映画部門が戦前からニュース映画作りに取り組んできた。

 終戦をはさんで、疲弊した日本の大衆娯楽として親しまれたのが映画だ。日本映画の製作本数は終戦後の1947年(22年)ごろから急速に伸び始め、全国各地に次々と新しい映画館が建設された。この時代背景のもと、1947年11月、読売映画社の前身となる国際映画株式会社が農林省出身の田口助太郎氏(のち衆院議員)の手で設立された。田口氏は、視聴覚教育に熱心で教育映画つくりを推進するとともに、1949年(昭和24年)から大事件、大事故を扱った劇場ニュース映画「国際ニュース」の制作を開始した。1949年3月には中等教育出版社の資本のもとで読売スタジオの前身となる株式会社秀映社が設立され、同社は映画フィルムの現像、録音のほか、教育・記録・宣伝映画の制作販売を手がけた。国際映画社は同社が制作したニュース映画について、秀映社が現像・焼付を請け負う契約を締結し、両社の関係は深まった。

翌1950年(昭和25年)には、秀映社は協映社に、国際映画社は読売新聞の資本参加で読売映画社にそれぞれ社名が変更となり、国際ニュースの呼称は「読売国際ニュース」と改められた。国際映画社の初代社長には、田口助太郎氏が就任した。ニュース映画は1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発で、その速報性と記録性はますます重視された。1954年(昭和29年)には、協映社は中教出版から読売新聞社に譲渡され、社名も株式会社読売映画録音現像所に変更された。ここに読売新聞社は映像制作の読売映画社と録音現像の読売録音現像所の両社を擁することになった。新聞社が映像制作部門から録音現像(のちに編集)部門まで合わせて所有する例は、以後も他にない。

昭和20年代後半からは映画の全盛時代を迎え、各地の映画館では本編映画の前に必ずニュース映画が上映され、読売、朝日、毎日のニュース映画競争は一段と熾烈となった。大都市ではニュース専門の上映館もみられた。昭和30年代にかけてニュース映画の隆盛は続き、劇場用ニュースの大型化が進められた。

しかし、ニュース映画は次第にテレビ放送の普及に押されていくことになる。
 1953年(昭和28年)2月にNHKが、9月には民放第一号として日本テレビがテレビ放送をスタートさせ、読売映画社、協映社も日本テレビの発足と同時に「読売テレビニュース」に関わることになった。映像は映画館からお茶の間のブラウン管の世界に移りはじめ、フィルム制作も徐々に磁気テープのビデオ作品にとってかわられるようになった。こうしたテレビの主役を決定づけたのは1954年(昭和34年)4月の皇太子ご成婚(受像機の普及)や、1964年(昭和39年)10月の東京オリンピックの開催(カラーテレビの普及)だった。ニュース映画はテレビ普及とともに減少の一途をたどっていった。

1974年(昭和49年)に読売映画録音現像所は読売スタジオに社名が変わり、新宿区市谷に新社屋「読売市ヶ谷ビル」を建設した。読売映画社、読売スタジオの仕事は企業のPR映画や官公庁の記録映画に、その後、テレビへのシフトを強めていくことになる。時代が昭和から平成に切り替わるころには、読売映画社、読売スタジオともにビデオ業務へのテコ入れが急務となっていくが、受注環境の大きな変化とともに、バブル崩壊による価格崩壊(単価割れ)、映像・音響関係の景気低迷が経営環境を悪化させた。

 1989年(平成元年)5月、読売映画社と読売スタジオは
1.ビデオ部門の業務提携を目指す
2.合併に向けて協議機関を設置する― などで合意した。
 しかし、異質な業務基盤、調整困難な労務環境から、それぞれの模索がしばらく続き、10年余を経て2000年(平成12年)4月、読売映画社と読売スタジオは対等合併を決定した。新社名は読売映像とされ、読売グループの映像戦略を担っていくことになった。

 読売映像の発足から半年後、日本テレビの「読売新聞ニュース」は終了するが、翌々年の2002年(平成14年)3月から、読売新聞社が新たにCS放送(G+チャンネル)の分野に参入を決定。これを受け、読売新聞CS放送について、読売映像が番組制作・スタジオ業務を請け負うことになった。

 2005年(平成17年)3月には、市谷から業界の激戦地・汐留への進出を決め、社屋を全面移転。移転を機にハイビジョン(HD)化への対応を急いだ。これまで逐次、スタジオの高機能化を進め、2008年(平成20年)9月までに編集6室すべてをHDとSD(スタンダード)のスイッチャブル可能なスタジオに改修した。

 2010年(平成22年)4月には、読売新聞社東京本社から委託されている報道写真販売事業について、すでに先行している報知新聞社の報道写真の販売委託事業に加えて、新たに大阪本社、西部本社の販売体制が整い、オール読売の写真販売受託事業となった。

 2011年(平成23年)4月1日から、読売新聞社からCS放送「日テレG+」について、従来の番組制作部門はもちろん放送送出部門を受託することになり、これに伴い、新聞社から11人の社員が読売映像に出向。「G+」丸ごと業務受託という新たなスキームがスタートした。

 2012年4月、読売新聞社のCS放送「日テレG+」事業が終了し、「G+」の新番組は日テレに移管される。徳光和夫氏をキャスターに起用した「徳光和夫の週刊ジャイアンツ」はじめ巨人戦に特化した新番組が放送開始となり、人気番組となる。

 2014年4月、読売映像は日本テレビグループの一員として新しいスタートを切る。社名も「株式会社イカロス」に変更。1947年の会社創業(国際映画株式会社)以来67年目、また2000年の読売映像発足以来14年目にしての大きな会社再編となる。活字メディアの読売新聞グループから映像メディアの老舗、日テレグループにシフトして新たな挑戦が始まる。